映画「スティグマータ 聖痕」は変化球のオカルト映画
前回の記事で「ヘレディタリー(継承)」を扱いまして、主人公の夫役がガブリエル・バーンなことを思い出しました。
この「スティグマータ」に神父役で出演していたので、旧ブログから引っ張ってきました。
調べるとガブリエル・バーンはこの「スティグマータ」と同じ年に「エンド・オブ・デイズ」という映画に出演していたわけで、Wオカルト映画年だったようです。
この「スティグマータ 聖痕」は、数年前の猛暑に辟易している時に、映画でゾッと涼しくなろうと思いたってレンタルした映画です。
聖痕=キリスト教 なので怖いのか?と思いながら観始めましたが、いやはやこれはかなり衝撃的な映画でした。
教会関係者は観たくない内容でしょう。バチカンなんて悪の組織のようなことしてるし、映画公開は問題なかったのでしょうか?
キーポイントは12使徒の一人、トマスの記した実存する福音書。
トマスの福音書とは本物のキリスト語録ではないかと噂されているものですが、バチカンは認めていません。
なぜならその中には世界中の教会やバチカンが存在意義を無くしてしまうほどの、キリストの「或る言葉」が載っているからなのです。 (詳しくは下の「READ MORE」からどうぞ)
映画でもその言葉は(憑依された)主人公によって何度も表に出てくるのですが、なるほど、確かにこの文言が認められてしまったら教会面目丸潰れです。
しかしこういう現実とフィクションの境界があいまいな映画は緊張感があって面白いですね。「ダ・ヴィンチコード」の映画をまた観たくなってきましたよ。
今回初めて知ったのですが、聖痕って痛いんですって?
今まで聖痕というのは熱心な信者の手足に、キリストが受けたのと同じ杭の傷が出るだけのものだと思っていたのですが、血がダラダラ~って実は痛みも伴っていたなんて~ ブルブル
だから主人公フランキーが受けた両手首、両足首、背中の鞭打ち、額(茨冠)のからの流血の聖痕は想像を絶する苦痛だったはず。
映像で杭や鞭で打ち付けられるシーンがフラッシュバックのように現れるところが凄い迫力で怖いし、こちらも痛くなる!
ちなみに主人公に最初に現れた聖痕は手首でした。
普通キリストは手のひらに杭じゃないの?と思いますが、磔刑による手のひら杭打ちでは身体が支えられないそうです。実際は手首に打ち付けていたという説を映画の中でも説明していました。どちらにしろ痛い痛い。
主人公のフランキーという名前、男性のペットネームっぽいけどアメリカでは女性名でもあるみたい。
日本でいうところのカズミとかマサミとかヒロミにあたる(みんなミがつく)ものでしょうか。
聖痕現象のあった聖フランチェスコになぞらえたようでもあります。
鳥に説教する聖フランチェスコの逸話も有名ですし、映画にもその像がでてきたりします。
フランチェスコ(イタリア名)がフランキーに変化です。たぶん。
レンタルしたDVDには、劇場公開時のラストシーンと、別バージョンのラストシーンも特典として入っています。
私は別バーションの終わり方の方が最後の最後にオチがついた感じで良かったと思いました。
「聖☆おにいさん」17巻買いました。
え~と、そうそう、誰のせいかと言えば、フランキーの母親のせい?
以下ネタバレです。
トマスの福音書のキリストの問題になった言葉とは
イエスが言った、「 私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。 木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう」
「な~んだ、教会も聖職者もいらないんだ」という意味にもとれてしまうのです。
救済機関としての教会の権威を認めないということに繋がるのは、バチカン的に非常にマズイという…。
正統派教会VSトマス福音書押しのグノーシス派という教義争いということなのかな。
映画の別バージョンのラストの方がいいと思った理由は、キリストが磔刑で受けたロンギヌスの矢の傷が、最後のシーンで主人公から見てとれたからです。これで聖痕グランドスラム!ってね。
なぜ信仰心の無い女性に聖痕が?という疑問。
(トマスの福音書をきっかけに)バチカンに恨みを持つ自殺した神父の盗まれたロザリオが、偶然母親から主人公に渡ったことから、メッセンジャー的使命を勝手に授けたっぽい。いい迷惑。